牧師・宣教師のストレスと燃え尽きについて(7)―境界線について―

前回の補足として、「境界線」について。


ノーはノー、イエスはイエスと言うことができない。
ついつい人の尻拭いをしてしまう。
「どの程度」がほどよい加減なのかわからない。
etc・・・

こういうようなところがあれば、
「境界線」の問題かも!

<境界線>

それはまさに自宅の境界線のようなものです。

境界線のひき方はいろいろ。
Aさんは、自宅のまわりに高い塀をめぐらせます。
Bさんは、芝生だけで垣根も作りません。

それはそれでまぁいいとします。
人それぞれですから。

でも仮に、Aさんがその塀の門を、誰にも決して開かないなら、問題があります。

あるいは、Bさんが、自分の芝生に誰かがテントを張っても何とも思わないなら、それも問題があります。

そしてもちろん、人のうちにテントを張る人にも、境界線問題があります。


それこそ、泥棒が窓から入って来ても、
「あ、来てくれたんだから、歓迎しなきゃ・・・?」
とお茶を出し、
家を占拠されても、
「どうぞどうぞ、ご自由に使って下さい。
いいです、私は物置で」

これが愛すること、忍耐、献身だと思っているクリスチャンが
案外いるのではないでしょうか。

「ここにテント張ってもいいですか?」
「いいですよ。私の家とはいえ、神様の土地ですから!どうぞどうぞ」
みたいな・・・

「ごめん、ここからは無理」と言えず、
「冷たい」と責められるとますます「愛さねば」と思い、
怒らせたり、がっかりさせたりしては
つまづきを与える」と思い、
自分の生活がめちゃくちゃになるほどに奉仕してしまい、
自分の時間もないほどに、人に尽くしてしまう。

でも、良く考えると、相手は泥棒なのでは?
自分の大切なものまで、全部からっぽになるまで、
与える必要はないのでは?


あるいは、やたらと人の責任までとってしまうクリスチャンもいるかもしれません。
それは神様とその人の領域でしょう、
というところにまで、ついつい首をつっこんでしまう。

隣人の芝生にまで水をやる。
そうすると、隣の人は自分で何もしなくなります。


イギリスで「バウンダリーズ」という良い本に出会って興奮していたら、すでにとても有名な本だそうで。
すでに日本語にもなっているではありませんか!

そのまま、ずばり「境界線」(地引網出版)という本です。

(しかし「境界線」って・・・
「加減のわからないあなたへ」とか、
「ノーと言うとき、言わないとき」とかいう題にした方が売れるのに、
と勝手に思ったりしつつ。)

とても面白い読みやすい本です。

たとえば『聖書でおなじみの『よきサマリア人』の境界線に問題あるバージョン』とか
かなり笑えました。

詳しくは「境界線」でどうぞ~。超おすすめ!


献身的というのは、一見いいことのようで、
いい人だと思われていたいという「弱さー依存」とか、
人におせっかいをやきすぎる「強さー傲慢」とか、
いろいろ隠れているものがありますよね。

画像


高すぎず、低すぎず、いつでも開ける、
ほどよい境界線が必要ですね。


<重量オーバー>

オリエンテーションが終わり、みんな次々に去っていった頃。
ロビーでくつろいでいると、人々が次々荷物をもって
YMCAの片隅の体重計のところにやってきました。

買い物してしまった人などは、
「うわ、オーバーしてる!」あせって荷造りしなおしています。
なぜなら、15kg、20kgなど、
決められた重量制限を超えると、高額な追加料金を取られかねないからです。

これから外国に住むというのに、
23kgプラス手荷物8kgくらいしか物を持たずにひっこし。
「いいのか・・?」という気分ですが、
でもある程度あきらめるしかなく。

でもこの航空会社の「ゆずらなさ」、
ここまでと決めたらここまで、というのが、
牧師にも必要だな~と思いました。
これもまさに境界線。

一人ひとりに「まぁオーバーしてもいいよ」と言っていたら、燃料が足りなくなってしまいます。
無理なものは無理と言わなければいけないのです。


子猫が捨てられているのを見たら、必ず拾ってしまう人。
(は~い。)

味噌汁用のあさりがかわいそうになって、海に逃がしに行ったことのある人。
(は~い。)

いるでしょ~、私以外にもたくさん。
ほらね。

ちなみに、魚屋さんでバイトしていたとき、
売られているドジョウたちに愛着がわいてしまい、
家で飼ってしまったこともありました。
(金魚鉢で楽しそうに5~6年も生きていました。。)

別にそれ自体悪いわけではないと思いますが、
どうも共感しすぎる傾向があるのは、注意しなければなのです。
辛くても、全ての困っている人を、
自分でどうにかできるわけではないからです。

個人的には、
「もし私がイエス様だったら、
すっごい忙しいことになってだだろうな~。
『あらゆる人を片っ端から訪問して、助けてあげなきゃ
メシアなんだから』、とか思いそう。」
と、思い、
イエス様はちゃんと境界線を持っておられたのね、
ということに妙に納得しました。

困っている人を放っておけないとか、
他の人が助けないときに自分がしてしまう、
それ自体は神様からのギフトなのでいいのでしょうが、
こういうタイプの人は
どうも少し自戒しないと、やりすぎるような。。。
メシア・コンプレックスという言葉もあります。


「なんとか運べる」荷物ではだめなのです。
それを持って30分も歩いたら、歩けなくなります。
ずっと持って歩くなら、自分に適正な重さを知らなければなりません。

「これらの人々をみんな自分で負う事はわたしには
できません。この重荷は重すぎます。」民数記11:11,14-15

仕事やストレスがオーバーロードぎみのままずっと続くと、
燃え尽き症候群その他の病気になってしまいます。

高い料金(病気)を払わされる前に、
荷物を減らしましょう~。


余談ですが、うちの母はよく「倒れたと思って休め」と言います。
倒れて入院するくらいなら、倒れる前に休んだ方が、
お金もかからないし合理的。

休暇にお金と時間を使うと、サボっているように思い/思われそうですが、
結果的に安くつく
&迷惑をかけない
&長く、良く働ける
ので、使うべき経費なのです。

画像


「自分を愛すること」と「他者を愛すること」のバランスとも言えるかもしれません。

自分を無にして、自分をなげうち、「自己を犠牲にして人のために」というのは
美しいことです。
もちろんそれはそうなのですが、
でも、神のために命を捨てるというのは、過労死して「殉教」しろということではないのであって、
神様の下さった自分(心、体)を大切にするということと、
自分を省みない愛ということのバランスが問われていると思います。

実際、牧師に倒れられたら困るのは教会です。
神様のために長く働けるように、自分をメンテナンスすることが働き人の責任でもあります。

ありのままの自分を受け入れ、自分のニーズを満たし、
セルフケアをすることに、
ノーと言うことに、罪悪感を感じる必要はないのです。

なんといっても誰もケアしてくれないのですから、
(もちろんそれ自体問題ではありますが)
牧師はともかく自分で自分をケアするのが大事かと。

罪悪感を感じることなく、十分に休むのが主のため、人のため。
無理な荷を負いすぎず、楽しく働くのが主のため、人のため。


力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれからわく。
(箴言4:23)

神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。
あなたがたは、その神殿なのです。
(1コリント3:17)

自分を大切に。


<世話をやかない>

ある本にこんな文章がありました。
手元にないので正確ではないかも。
確か「愛しすぎる女たち」という本です。

「夫の生活に関係なく自分の生活を充実させれば、
夫の問題は自分とは関係なく、
夫を変えるのは妻の義務でも権利でもないと考えるようになるだろう。

夫に今とは違う人間になってほしいと思っても、彼がどういう人間になるかは彼自身の問題で、
その権利は尊重しなければならない。

管理操縦をやめること自体が、あなたの愛する人にしてあげられる
唯一の最も役に立つ行為である場合が多い。

「頼りになる人」と自分を同一視することは、利己的な行為である。

あなたが本当に役に立ちたいと願うなら、彼の問題にかかわらないで自身を救え。
彼の問題は彼自身が解決すべきもので、あなたの問題ではない。

彼に全責任を取らせること、解決の為の全権を彼にゆだねること、部外者の立場を取ること。
相手との間に距離を置く。自分の思い通りにものごとを動かす決意を捨てる。

冷静さを保ち、心を開くこと。彼の行為の結果は彼自身に処理させること。

彼の苦痛を多少なりとも救ってやってはいけない。手を差し伸べて世話をやいてはいけない。
何も言わない、何もしない態度を身につけなければならない。」

これも、まさに境界線だよな~。
と思いました。

夫に限らず、身近な人に対して、つい境界線を侵害しがちですが、
相手には自分の問題を処理する「権利」があるってことですよね。

それにしてもこのズバッズバッという言葉、すごいですね。
・・・

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この記事へのコメント

リャピュタ
2009年08月16日 19:44
あはは、Aさん、Bさんの例、わらケチャっタ。
猫よかったね。
僕はね、あの猫がお座りしている、あの猫背(?)、あの猫の背中の曲線が大好きなんだ。
ぶんこ
2009年08月17日 12:47
わかる~。私は猫のお座りの後姿が好き。たまらんよね。茶色の猫(ブラウニー)ももう慣れてきてひざに乗せられるくらいになりました。たたくとほこりが出そうなくらい汚いけど。
星子
2009年08月18日 13:11
文ちゃん、元気そうで何よりです。こちらはこの前、やっと夏の子供会が終わって、ホッとしているところです。子供があんまり来なくて、寂しかったけど、まあ、楽しかったです。お祈りありがとう。文ちゃんも体に気をつけて元気でね。報告でした。では、またね。
リャピュタ
2009年08月21日 16:38
星子ちゃん、こんにちは。
先日、僕の教会の主任がお世話になりました。
僕はそこで、働いています。
星子ちゃん、
ブログで、絵とか、載せてみませんか?
また、あなたの絵が見たいです。
星子
2009年08月21日 18:23
どうも。リャピュタさん、初めまして。(!?)私もブログを作ってみたいなとちょっと思っていました。絵を見たいと言って下さって、嬉しいです。ありがとうございます。パソコンは苦手なので、できるかどうかわかりませんが、また研究して作ってみようと思います。文ちゃん、もしできたらここで、お知らせしてもいいかな?(笑)
ぶんこ
2009年08月22日 21:28
星子ちゃん、もちろんできたらここで紹介してね~。
リャピュタちゃん、そういう君はブログやってないんだよね・・?
星子
2009年08月22日 23:08
文ちゃん、ありがとう。いつになるかわからないけどブログ頑張ってみます。(笑)いろいろごめんね。祈ってます。では、また。
リャピュタ
2009年08月25日 13:02
文ちゃん、元気にしていますか?
お祈りしています。

そうですね、星子ちゃんに作ってと、おねだりして、自分が作らないのでは…えへぇー
僕の主任は
「象さんの気ままな日記」というブログを開いています。
僕も、
いずれ、「子象の気ままな日記」なぞを、開始して、
ラビ(犬)やピー子(インコ)
の日常をお知らせできたら楽しいかもしれませんね。
ぶんこ
2009年08月26日 15:15
星子ちゃん:素敵な作品で人の心を励ますことのできる賜物、これからも用いられますように。
リャピュタちゃん:象さんの日記たまに見てるよ~(笑)
小象もいいけど私は「牧羊犬」の表現も結構好きよ。
星子
2009年08月27日 23:02
ありがとう。ぼちぼち頑張ります。では、また。

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