なぜカンボジア?

1.カンボジアの必要 
ちょうど私が生まれた30年前頃、ポルポト政権下カンボジアでは空前の同民族同士の大虐殺が起きていました。当時少年兵だった者と生き残った者、裏切った者と身内を殺された者とが、現在のカンボジアを構成しています。その傷はいまだ深く、最も深刻な問題はカンボジア人が互いに信用しないということです。カンボジアはいまだ多くの面で外国人の助けが必要な国なのです。
日本は、国連の平和維持軍が入った際に明石大使が活躍したり、学校や橋を建てたり、カンボジアにとっては一番の「恩人」です。日本人はカンボジア人に受け入れられやすく、文化的にも経済的にも法的にも、カンボジア伝道への特権を与えられていると思います。その一方で、日本を追うように経済発展へと駆り立てられる様には不安も感じます。私達がなすことのできる本当の助け/見本とは何なのでしょう。
「金銀はわたしには無い。しかい、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」(使徒3:6)
組織でもなく政治でもなく、本当に人を変えることのできる力、それは福音だと思います。この本当の助けを私たちが届けることができたならば、何とすばらしいことでしょうか。豊かさを捨ててカンボジアに仕え、愛し「共にある」ことを通して初めて、カンボジアの人々には神様の愛を届け共に成長することができるのです。

そしてまた、豊かな日本が失ってしまったものを、逆にカンボジアから受けられるようにも思います。

2.神様からのコーリング
「でも私は日本を見捨てられないよ」9年前、カンボジアで、私は一緒にキャンプに参加したマレーシア人の友人に言いました。私はカンボジアに召されているのかもしれないと感じ、またそれを心から望み、でも迷っていました。その時、彼女が言った言葉は「もしイギリス人が全員救われるまで誰もマレーシアに来てくれなかったら、私はキリストを知らなかったでしょう」というものでした。でも私はやはり「神様からの呼びかけではなく自分の思いではないのか」と思い、葛藤していました。
 けれども長い時間をかけて、神様は、カンボジアに対する特別な愛を私に与えて下さったということを、また、宣教師を遣わすことがむしろ日本の教会の祝福になるということをも、教えて下さいました。こうして、私は日本とカンボジア両方に召されていることを確信するようになりました。

3.何をするの?

カンボジアの人々にイエス・キリストの十字架による救いを伝えることが目的です。愛の必要な子どもたちや傷ついた女性たちなどに、本当の愛と赦し、新しくなれること、価値あるものについて伝えたい、そしてカンボジアの人々に喜びと目的のある人生を送って頂きたいのです。また、現地の日本人への働きもできるかも知れません。そして日本の人々にもカンボジアを通して何かをつかんでもらえたらと願っています。人が本当に変えられることを通して、日本もカンボジアも神様の国になることを、ぜひご一緒に祈って頂けないでしょうか。

OMFカンボジアの一員になる予定です。具体的な働きはまだわかりませんが、子供や若者が多い国なので、漫画なども生かして働きたいと思います。

現在示されていることは、普通の人たちと共にあり、教えるというよりも分かち合うこと、リーダーというよりもメンバーとして、カンボジア人とカンボジア人、カンボジアと日本、そして神様と人を結ぶ「橋」として、働けたらと思っています。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック