実はまた妊娠しています。まさかの四人目⁉︎

申し遅れましたが、現在、妊娠5ヶ月から6ヶ月にさしかかるところです。 


妊娠は外出禁止だし、妊婦健診も産院ではお休みなので、

まだ心音さえ聞けていないのですが、昨日初めて胎動を感じました!生きて、育ってるー、こんなにほっといてるのに!という、驚きと共に、申し訳ないような感じがしました…。

0688E267-553D-4389-9DBA-BA0EF5E3D6E8.jpeg

43歳で四人目⁉︎ コントロールしてないのかと聞かれそうですが、はい、全くしていません。ほほほ…(^ ^)


母に、避妊しないとどんどんできちゃうわよ的なことを言われたことがありますが、…^ ^ ;

この際限界までチャレンジか⁉︎


避妊をしていない理由は、いのちをコントロールすることに抵抗があるためです。というかもっと具体的に言うと、将来、あー、あの時コントロールしなければ、もっと子どもが持てていたかもしれないのに!と後悔したりするような気がするためです。

子供たちはどの子も愛しくてありがたいので、

私たちのような親でも、ひとりの人という貴い賜物を託して頂けるなら、いくらでも預けていただきたいです。

育てさせていただける特権!光栄なミッションという感じです。


私の中には、子どもが欲しいという強い願いもなく、逆に与えられたら困るとかいう思いもありません。

というか、自分にとってどうこう、という次元のものではないのかなと思います。

(むしろ献身的に子供に仕えなければならないという意味では真逆かも!)


この大事な任務をちゃんと遂行できるように願うばかりですが、基本的に全権は神様にあると思っています。なので、プレッシャーも心配もあまりないです。神様には全て必要なものを備えることができると思います。


一度流産して子どもを天に送っているので、あの悲しみをくり返したくないなぁと思う部分もありますが、

子どもをどうするか、決めるのは神様だけです。

だから失うことを怖がる必要もないと思っています。

そもそも私のものであるかのように握りしめる必要はないのですから。



<子供が欲しい、という願望に関して思うこと>


よく子どもを作るという言い方をしますが、子どもは欲しいから作るとか、そういうものではないと思っています。


子どものいないご夫婦やシングルの方が、寂しくて辛くて子どもが欲しいと切実に思うのはもちろん当然だと思いますが、

それにとりつかれて人生を悲しみの中に費やしてしまったり、無理にどうにかしようとして苦しんだりするのは、

子供を持てて自分の手柄のように得意になるのと同じくらい、

間違いだと思います。


結婚や子供を与えて下さいと祈っていても

神様が「応えて下さらない」場合には、

何か自分の問題なのか、と霊的に痛むこともあると思います。


でも、本当に神様は応えておられないのかどうなのか。ちょっと確かめてみたらと思います。

もしかしたら私たちの思いを超えたもっと根元的な答えを語られているのかも。


子どもが欲しい理由の背後には人間的な、つまり神様的でないものも、潜んでいることがあると思います。


「なんで、

子供が欲しいの?」

ともう一度自問自答してみたら、

意外とアホらしい思い込みに囚われてた、ということもあるかと思います。


例えば、自分の将来のために子どもが欲しいという、利己的な動機も耳にします。

単に、産める年齢のうちに産まねば~みたいな動物的本能に無意識に駆り立てられている場合もあります。

あるいは、家を継がなければならぬというプレッシャー、

(男子を産まなきゃいけないとか!?王家か!)

人にあれこれ言われる言葉に傷つくプライド、

相手や親の期待に応えられない辛さ、

幸せそうな親子を見てうらやんだり、劣等感を感じたり?

というような、社会的に植え付けられた価値観に翻弄される人も。


例えば育つ中で植え付けられた前提が、子育てをして一人前、子どもがいない人は価値が低いというようなものだったとしたら

(日本には、仕事してる人がえらいとか、生産的な人がえらいみたいな価値観はいろいろありますよね。それは果たしてユニバーサルな価値観なのでしょうか??)

それらのせいで焦らされたり自分を責めてしまう人もいるでしょう。

でも、

それは実際は間違った前提です。神様から来たものではありませんよね。

神様からみたら、社会的レッテルなど関係なく、その人はその人として完全で素晴らしいのですから!

何かできるから価値があるのでもありません。神様にとって大事だから、愛しているから価値があるのです。

そして一人ひとりには、神様から託されたもっと偉大な使命があるのですから!

5D7AA772-0CD5-4980-B4CD-FDF2BA64C10F.jpeg

神様を信頼して肩の荷を降ろし、

神様の見方で自分を見て、

視界を広げてみたら、楽になることがあると思います。


そもそも、子供は一方的にたまわるもので、自分の力で手にできるもの、ではないと思います。


私は、いのちの領域に人が手を出しすぎるのは、傲慢だと思っています。


堕胎や安楽死や死刑その他、殺人には反対です。

不妊治療もやりすぎはどうかなぁと思います。


子どもがいなくてもいいではないですか!

それが与えられた生き方ならば、それをしっかり受け取って生きた方がいいと思います。

別に誰も彼も子育てに奔走しなくてもいいのですから。子育てはものすごく時間と労力がかかる仕事ゆえ、他の使命に召されている人にはなくてもいい仕事だと思います。どちらかが片手間になってしまうので。



どうしても子供が欲しいなら、養子をもらえばいいと思います。

(前からの憧れ↑…でも自分の子供が4人にもなるとは…)


子供を産んでみて思ったのですが、別に自分のお腹から出てきたから愛着を感じる、とか、血のつながりがあるので愛情を感じるというわけではないと思います。もちろん人によりけりだと思いますが、私は最初の子が生まれてきた時、このベイビーが本当にお腹に入ってたん?信じられない。みたいなノリで、

「これなら別に、産もうが貰おうが一緒だな」と思ったのを覚えています。


ただ、母親ホルモンが出産後はたくさん出るらしいですが、なんかその母性みたいなのはその子供が自分の子であろうが他人の子であろうが関係なく溢れていく感じでもありました。


その小さなベイビーが自分を必要としていることから始まって、子供が愛してくれるからこそ、親も愛情が育っていくのではないかと思います。


まとめ:

長年子供が欲しかったご夫婦にようやく念願の子供が与えられた場合、

おおらかな、安心感のある子育てをするのは難しくなる気がします。


大事すぎて、過保護になったり、過干渉になったり、

親のコントロールがきつすぎたり、子供が全てになったり


子供が自分のものみたいなメンタリティがあるからかも。

子供が息をできるようにしてあげて欲しいです。

そういう意味でも、神様を信頼して委ねているとほどよくゆるくなっていいと思います。


自分がどうにかしなければならないものだと思っている、

状況を自分でコントロールしようとしているから辛いのかもしれません。


でも本当は、人間には何かに息を与えて生きるようにさせることもできないし、生き死にに関わること、いのちは人間がコントロールできることではないのではないでしょうか。

BD5A65B6-2580-48CE-AEF0-78DC3C722C74.png

"実はまた妊娠しています。まさかの四人目⁉︎" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。