牧師・宣教師のストレスと燃え尽きについて(13)―土壌

2.「土壌」

<序>
赤土、黒土、砂地、粘土…色々な土壌があり、
その土壌ならではの実がなるように、
日本という土壌にも、
(例えば宗教だけでも、八百万の神から儒教から神仏混交から天皇崇拝まで)
いろいろな成分が混ざっていて、
それゆえの実もなっていると思います。

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<牧師への期待が大きいのはなぜか>

1. 仏教の影響
→牧師は聖人?
日本人になじみの深い、お坊さん、お寺さん。
多くの人はそのワクで牧師さん、教会さん
を理解しています。
なので牧師も「出家者」「俗人とは違う」「学のある人」
「導師」(?)みたいなイメージ。

→説教がメイン?
教会にも「神様を賛美しに集まる」のではなく
「ありがたいお話を聞きに行く」
という人も多いので、
説教への期待度も妙にひしひしと高いです。

2.儒教の影響
→牧師は権威?
「目上」の者を敬う思想があるので、
西洋などに比べると、平等よりも
上下の関係や礼儀が重視される社会です。
主従関係とか。
その影響で先生職に求められることは大きく、
教会でも牧師の地位?が高くなりがち。

3.宣教師の影響
→牧師に依存?
戦後の貧しい日本に来た宣教師
=伝道する人、与える人、教える人、面倒見る人のイメージ。
教会のリーダーとはそういうものだと思われ、
「牧師が何でもやるもの」「信徒は受け身」に。

「大八車に信徒が乗って、牧師がそれを引っ張ってる」
のでは、
牧師はもちろん倒れてしまいます。

これは、むしろプノンペンで車を押してるNLチーム。
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ガス欠でした。


4.一流思考の影響
→優れていなければならない?

―極める人々―
日本に行ったことのある外国人との会話で、よく話題になるのが、
「日本の電車がいかにきちっと時間通りに来るか」
「きちんとした仕事、レベルの高いサービス」
「日本人の品性、モデスト(慎み深い)さ」
などなど。

日本に言ったことのない人でも
日本製品の品質のよさは口にします。

「車」「カメラ」「TV」とか、
発明したのは他の国の人でも、
アレンジして最高品質にしちゃう日本。
あんまり独創的ではないけど、すぐにモノにし、
とことん「極める」タイプなのかなぁと思います。
(オタク発祥の地でもあるし?)

そんな極める日本には、
「できなければならない」
という無言の掟が。
日本人の基準は、高い・・・。
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その上日本の教会は、なんだか
ハイソなかんじ。
(注1*ハイソックスではありません。)
(注2*セレブともちょっと違います。)

これは日本の初期の教会が、
知識階級をめがけて伝道したせいもあるらしいです。
(救世軍とかは例外。)
西洋コンプレックスとかもあって、
ハイソな人が集まったのもあるかも?

こういう中で、牧師もやはり一流を求められたり
(あるいは自分に求めたり)して
大変なのではないでしょうか。

「おれたちゃ田舎の漁師だったぞ~」
とペトロ(イエス様の弟子)に一言叫んで欲しい…。

→極めてないと資格がない?
―自信のなさ―
そんなわけで「一流でなければならない」日本では、
逆に「私なんて・・・」と自信のない人も、たくさん。

例えば、
外国の人はどんなに下手でも「ピアノ弾けます」とか言うけど、
日本ではよっぽど上手くないととても言えない、みたいな。

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「できます」


「信徒は専門家じゃないから」という自信のなさで、
「信徒が何かやってはいけない」
「恐れ多い」ように思ってしまい、
追従主義みたくなり、
牧師に過度な権威を与えるなども、ありそう。

教会で認められ任命される牧師の職が神聖で、
きちんと訓練を受け聖書をとりつぐことが
重要なのはもちろんですが、

だからといって牧師の権威が高くなりすぎて、
「牧師が信徒に」神の言葉を聞かせ、
「牧師が信徒を祝福して送り出す」みたいなことになっても、
変・・・(汗。

福音を述べ伝え、訓練し、人を遣わし、任命し、ケアし、祝福を祈るのは、
牧師じゃなくて、教会の業のはず。
なんで牧師しかやっちゃいけないと思ってるんだ~。


写真は、NL教会で今日と明日行われている、
リーダー訓練会の様子。
画像

こっちはこっちで、
リーダー訓練会に
初めて教会に来たおじさんまでひっくるめてましたが。

・・・
ともかく、
上記のようないろいろな理由で、
牧師と信徒がとても分けられている気がします。
特別さを求められて、牧師に要求される基準は高くなり、
ストレスが大きくなります。

牧師依存が高じて
牧師の神格化みたいなことにもなります。
メシア・コンプレックスにも陥りやすくなり、
がんばりすぎも誘発されそう。
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<牧師が働きすぎるのはなぜか>

牧師がなんでもやることになる背景には、
社会の忙しさもあります。

日本で「平信徒牧師」を提唱した宣教師も、
信徒が忙しすぎるのが最大の難問だと言っていました。
確かに、実際頼める人がいないのかも。

「日本人はなぜ休まないのか」ということを研究し、
11の理由をあげたサイトがありました。
http://blog.goo.ne.jp/asakawa1234/e/5d75ed733e2d83dca966eae9218312b8

それを簡単にまとめると、こういうことみたいです。

1 気持ち的に、休みを取りにくい
  ・国民性、気質
  (日本人のきまじめさ、完壁主義、責任感の強さ
   「仕事を中断できない・人に任せられない」)
  ・集団主義、全体主義  
  (「休むと人に迷惑をかける」)

2 実際問題、休みを取れない
  ・仕事の能率の問題
  ・法整備(休暇法など)の未整備
  ・ITや通信の進歩で逆にゆとりがなくなった
  ・営業時間やサービスの拡大(実質の労働強化)

3 休みをとっても休みにならない 
  ・仕事以外で打ち込める趣味や地域、家族関係がない。
  ・くつろげるような住宅環境がない。

4 休みたくない  
  ・競争主義、成果主義、株価至上主義
  ・仕事に一番の喜びを感じるので、休めないのでなく「休まない」


この「休みたくない」が実は主な理由なのではないかと、
このサイトの人は言っていました。

牧師も「休まない」という選択は結局自分でしているのですが、
その陰には、
1.サムライ魂の影響
2.アイデンティティの問題
があるのかなぁと思います。

カンボジアで売られている滋養強壮ドリンク
「Samurai」
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1.サムライ魂の影響

A. お上への奉公が最優先-仕事第一主義 
→「牧会」への忠誠が神様への忠誠?

ある牧師が葬儀で故郷に帰り、
家族や親戚のために、しばらくいた方がいいと判断し、
自分の教会の礼拝説教は他の人にお願いした、
というような話を聞きました。

この牧師が日本人だったら、
「何をおいても礼拝説教に穴を開けるわけにはいかない」と、
日曜日には帰ってくるんじゃないかな?と
私は思ったのですが。
皆さんはどう思いますか?

ともかく他にどんな必要があっても
「仕事だから」の一言です。
どこまでも仕事を第一の務めとする価値観。
責任感が強く、仕事熱心。
よくも悪くも、サムライ魂なのかなと思います。

自分や家族ではなく、お上への奉公が最も大事。

「忠誠」を尽くすことを善しとし、誇りとしている
サムライな私たちが、
神様のためにこの命を使っていただきたい、と献身したら、
まぁ、確かに休まないことこの上ないでしょう。


B. 武士の美学
→弱くてはいけない? 

負け戦だとわかっていながら逃げも降参もせず、
大勢の敵に向かっていく、少数のサムライたち。
命を惜しむより
戦って死ぬ方が美しい、
…というサムライの美学。
さらにクリスチャンともなると
もろに殉教の精神みたくなるわけですが、
自分を犠牲にすること、
滅私奉公こそ献身である、という感覚が、
どこかで過剰な奉仕につながっているかと思います。

また、
リーダーは弱くてはいけない。
最後まで、矢を受けながらも立っているもの、
がんばるのはいいこと、
忍耐が美徳、
そういう美学によって、
限界に来ていても、援助を求めることができない、
ということもあると思います。

「まず自分のケアをしてからでないと、他人のケアはできない」

「神様はあなた自身のことを大事にしたいと思っていて、
あなた自身のケアは、
(恐らく牧会以上に)あなたにまかされた仕事である」
ということ、
また
「兵士は結婚したら1年間は家にいなければいけない」
と聖書にあることの意味をも、
よく味わいたいものです。


2.アイデンティティの問題

働きすぎになるもう一つの理由として、
アイデンティティの確保という死活問題があると思います。

この間ある神学者に聞いた話では、
「罪(Guilt)文化」よりも、「恥(Shame)文化」、
つまり人との「関係」が重要視される社会の方が、
自殺率が高いのだそうです。
(恥文化はアジアやイスラム圏に多い)

なぜなら、人間関係がその人の存在の基盤なので、
人に認められなければ、「価値がない」となってしまうから。
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アイデンティティーが、他者を基盤にしていて、
自分自身は、関係において成立する。
そんな中、さらに、
競争社会+家族崩壊などで
セルフ・イメージが傷ついている日本の若い世代。

自分に自信が持てない、
結果、成果や周りの人からの評価に自分自身の価値を置いてしまい、
「自己の価値を確かめたい」
「認められたい」
「存在意義を感じたい」のでがんばってしまう。

ところが
牧師業はあまり成果が見える仕事でもないし、
認めてくれる上司とかもいないし、
自分がちゃんとやっているのかどうかを知るシステムや基準もないわけです。

牧師の職務自体も、そもそもアイデンティティ喪失状態。
日本で牧師とはどういうものなのかが、
本人・まわり共にはっきりしていないので、
エンドレスにがんばり続けることに。

例)
「牧師は信徒を絶えず訪問するものだ」
と人に言われて、せっせと訪問していると、
別の人は「牧師はいつでも教会にいるものだ」
と言い・・・
一体どうすればいいんだ~!みたいな。


<牧師の仕事が難しいのはなぜか>

・人様教の影響

そのように他者ベースで自分がある日本。
名づけて

「人様教」

みたいなものがあるなと思います。

聖書や律法のような
絶対の基準がないので、
日本でのものさしは「他人」。

「人様にご迷惑をかける=悪」
「世間様に恥ずかしい=悪」
「みんなやっているから=善」
「気が利く=善」など。

「人々がどう思うか」で善悪は決まる。
その「掟」をアップデートするために、
誰もが常にアンテナを張って暮らしています。

「人様教」の信条は例えば、
「日本ではみんな一緒じゃないといけない」
「日本人はきちんとしていなければならない」

お上のために命をかける「お上」教(=仕事教)も
ある意味、人様教の一派かもしれませんが・・・。


こういう独特な日本を考える意味で、
「日本教」という、山本七平らが提唱した概念があるらしいです。
日本の宗教は、仏教でも神道でもなく、
「日本教」なんだとか。

「日本教の中で、教義と同じ機能をするものは「空気」である。」
とか、
ちょっと面白そうだなと思いました。
でもよくは知りません。興味のある方は本をお読みください…。


・関係が全て

「人様教」の教会では、
大事なのは正しい神学ではありません。
全てにまして優先されるのは、
人間関係です。

「あの先生は娘によくしてくれたから」
「あの牧師夫人にはお世話になったから」
「みんないい人だから」

恩と義理人情で牧師とつながっている、
人間関係で教会に来る、
みたいなことになります。

その結果、牧師は高い人格と、
人間関係スキルを要求されることにもなります。

・二つの神?

人様教の教会では、
牧師は神様よりも人様のために働くことを要求されます。
この教会では、人々の魂よりも人々の目を気にかけています。
牧師は、信徒の評価を気にして行動します。

年功序列や能力による「上下関係」がものをいい、
先代の教えにどこまでも「忠実」なことが善しとされ、
どんなにいいことでも、新しげなことを実践することはできません。

「あれをしたら疎外される(出る釘は打たれる)」とか
「誰それがこう言うのだからこうすべきだ(長いものには巻かれろ)」
というような、
聖書にない律法もあります。

総会の決定は「空気を読む」ことによってなされ、
「神との和解」よりも、
「人との調和」が最優先とされます。

このように人様教とキリスト教の混ざった教会は、
二つの別々の方向に行こうとする羊の群れのように
牧師の仕事を難しくします。

牧師は神学校で、これまた
日本文化とそぐわないかもしれない西洋仕込みの神学を
「正しいこと、すべきこと」として学んでくるので、
さらに大きな葛藤や軋轢、
不自由とフラストレーションをひき起こします。


まとめ:
いろいろありそうなところを、
最終的には人様教でひとくくりにしてしまいましたが、
以上、
「牧師への期待が高い土壌」
「牧師が働きすぎる土壌」
「牧師の仕事が困難になる土壌」について、
とりあえず私の掘れる浅いところで
考えてみました。
画像

同じ土地の土壌でも、深く掘ればまた違うかも・・・。


このシリーズももうちょっとで終わりそうですね。
タイトルのわりに宣教師のこととか書いてないので、
そのへんもまたそのうち。

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この記事へのコメント

ブーねこちゃんのファン
2010年09月23日 11:35
車で運転しているのはもしやレベッカ!おお~。
そういう風に考えると、カンボジアの土壌って、なんだろうね。むしろ、上からの指示を待ってる風なところとか?やっぱり、上下があって上が決める権威があるとか。。そういう考えをひっくり返して、行動にまで移させるのは相当時間がかかりますね~。やっぱり、神様にしかできないことだね。。そういえば、ブンちゃんの書いたことによると、以前教えていただいた某牧師先生は、とても良い見本なのではないかしら??そのぶん信徒さんが動く。。神様の子供はみんな祭司だものね。日本の牧師先生方、宣教師の皆さん、がんばって!!
ぶんこ
2010年09月24日 20:15
そう、チョー家の車ガスメーターがこわれてるらしいね・・・。
うんうん、カンボジアについては、観察中~~。カンボジア人にしかわからないところもあるだろうけど、意外と外からの方がクリアにわかることもあるよね。
置いていってくれた本の中の「敷居が高い」を今読んでて、そういう意味でとても面白かったし、参考になりました。
つづお
2010年09月29日 16:16
ひさしぶりに「燃えつき」のブログ読みました。
痛いねー。チェックリストを読みながらかなり危険水域に入っているように思ったですよ。
「人様教」とはいい得て妙!いつの間にか教会の働き=人の顔色伺いになっている自分がいますね。日本の教会文化の影響力の強さは絶大なので簡単には対抗できないというのを身に沁みて感じます。居直るような反抗でもなく、ただひたすら人の期待に合わせるのでもないバランスがほしいです。切実に。
ぶんこ
2010年09月29日 23:18
おお、危険水域。
そうですね、ものすごく大きな力に、ぶつかってるというか呑まれる感じありますよね。
日本らしい教会のよさを生かしつつ、福音的・・・というバランスも難しいけど欲しいですよね~。
リャピュタ
2010年09月30日 19:27
文ちゃん、こんにちは。久しぶりです。
僕は、日本の北で象先生の下で働いている者です。
この秋、大阪に試験を受けに行きました。
すると、松江の人に会いました。
D姉妹、頑張ってCコースで献身されていますね。
嬉しかったのでメールしました。
お祈りしていますよ。
ぶんこ
2010年09月30日 23:31
おお~、試験お疲れ様。
DさんもCコースがんばってるんですね!
私もたまに象先生のブログ見てますよん。

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