牧師・宣教師のストレスと燃え尽きについて(5)ー「自由業」特有のストレス

<牧師は「自由業」?>

辞書によれば自由業とは、

「一定の雇用関係によらず、時間に束縛されないで、独立して営む職業。
多くは特別な技能・技術・知識に基づく専門的職業」
だそうです。
http://hiho.sunnyday.jp/b0.html

芸術家
芸能人
開業医・弁護士・税理士などの「士」業
文筆業
デザイナー
などが当てはまるそうで、前の「先生業」とも多少かぶりますね。
むしろ自営業は入らないのでしょうか?
まぁいいや。
牧師・宣教師は正確には自由業ではないのでしょうが、働き方は自由業に近い気がします。

(例えば「時間に束縛されない」で一人で働くこととか、「専門的職業」であることとか)

クリエイティブ業(自由業?)は日本で
ストレスの多い職業の1位だったりするわけですが、
牧師職の「自由業」としての部分からくるストレスを考えてみたいと思います。


●しばりのない職場環境の大変さ:

しばりのない自由な職場環境は、
裏を返せば
「無際限のサービス提供」を強要する職場環境になる可能性があります。
規則のない幼稚園が一見「自由」なようでも、めちゃくちゃになってしまいかえって大人も子供もストレスがたまるように、
規則のない職場環境は、かえってコントロールするのが大変なのです。

<無制限になる労働時間>

何時から何時の仕事ではないので、切れ目がない/際限のない
=生活全てが仕事
になりかねません。
逆に言うと休暇がない、という、これについてはまたあとで書きます。

職場に24時間体制で泊まりこんでいるお医者さんとか、
そういうものを想像してみるといいかも。。。


<上司も組織もない>

上にも下にも誰もいないことは、
それによってストレスのない部分もあるでしょうが、
仲間も、頼める人も、
「少し休みたまえ」とか言ってくれる人もいないわけです。
誰のケアも受けられない、
管理してくれる人も、責任を分かち合ってくれる人もいない、
全部自分次第、
自分にかかってくる、ということになります。

自分が自分の仕事のボスだったら、
最高に仕事できる・自己管理できるという自信、みなさんはありますか?

もちろん牧師には神様というボスがいるわけですが。。

ちなみに私の場合、人がいないとやる気がでないという習性があって、
一人だと「だめ人間の極み」みたいになってしまいます。
神様との間だけで、「超やる気!!」みたいな、一人盛り上がりとか、
一人達成感とかを味わえたりする人になりたいわ~・・・


<公共化される私生活>

日本の牧師は、多くの場合、教会に隣接された「牧師館」に住んでいます。
これがなぜなのかはよくわかりませんが、
便利な面もあり、「住み込み」によるストレスもあります。

牧師館は、訪問客も多ければ電話も多いところです。

そして、もちろん本当はれっきとした牧師個人の「家」なのですが、
現実的には、
(教会の二階とか同じ敷地内にあるととりわけ)
半分自宅のような、
半分公共物のような認識をされていることもあります。

つまり、「教会」と牧師館の境目がはっきりしていない場合に、
教会には誰でも来ることができるので、
「人んち」というプライバシーの感覚がなくなって
半分公共化された家になってしまうのです。


<プライバシーの問題>。

人には個人的な安心できる時間空間が、必要です。
私生活が安易に脅かされるような状況、
いつも見られている感があると、
これは大きなストレスになります。
家族がいる場合、家族もどうしても巻き込まれます。


<気持ちの切り替えの問題>。

時間的にも場所的にも、家と仕事場が一緒だったりすると、
気持ちが切りかわらなくてストレスがたまります。



*モード切り替えの例*

住居と仕事場が一緒なので、
「エプロンをしたら家事モード」。
「化粧をして気合いをいれ、仕事モード」。
とか、
家と職場が近すぎるので、わざと遠回りをして帰る、
という人もいました。
「家は隣にあるものの、9時から5時までは帰らない」という人もいました。

私は、島根では電車で20分くらい離れたところにアパートを借りてもらったので、
最初すごく助かりました。
新任で、教会にいる間ずっと緊張しているし、
(いつ人が来るかわからない教会というところで、
教会というものを代表している責任もあるので)
切り替えが下手なので夜中までずっと仕事をしてしまうし。


<人間関係における「世界」の問題>

人には二つの「世界」があった方がいいと聞いたことがあります。
職場と家とか。
趣味と仕事とか。
気持ちの切り替えがストレス解消に大事ということでしょう。

「家族」や「友人」など自分の属するグループを円で表していくと、
普通、
「仕事」「家族」「教会」などの人間関係の輪は、
ほとんど重ならないと思います。
要するに、花のような形になるというか。

これが牧師の場合、どうでしょう。
「仕事」「教会」「家族」「友人」の円が、
ほとんど重なってしまうのではないでしょうか。

なので、
普通のクリスチャンには、教会というものが
良くも悪くも
普段の生活と離れて存在し、ある意味逃げ場にもなりますが、
牧師には逃げ場がないのかも・・・。

なので、牧師も牧師業と全然関係ない「世界」を持った方がいいのかもしれません。
趣味の人間関係とか。


<家族への影響>

牧師夫婦には、また家族には、
どんなスペースが必要でしょうか。

上記のように24時間体制の仕事で、
教会の人間関係が家族の人間関係にかぶっていて、
家庭生活に仕事が遠慮なく入り込んでくるのでは、
家族関係を良好に保つことが難しいのは当然です。

しかも牧師ということで家族全員が高い基準を求められている気がしていたりすると、
(あるいは自分たちで課し)
子供や伴侶に犠牲を強い、人格形成に影響を与えることにもなりかねません。

牧師の家庭は、
そこに住んでいるというだけでものすごくストレスがあるということを、
肝に銘じたいと思います。


<ワーク案>

*Work1*
一日のうちで、仕事と私生活の時間配分がどうなっているか、
どのような切り替えが必要か、考えてみましょう。

*Work2*
自分の「人間関係図」の円を描いて、分かち合ってみましょう。
どんな「もう一つの世界」を持つことが出来るか、考えてみましょう。



●仲間がいない―情緒的・霊的供給のなさ:

「教会に行きたい」
「宣教師はむしろ、チームがあっていいなぁ・・・」
と、牧師をしていたころ、思ったことがありました。

「教会に行きたい」というのは、
ただ単に礼拝者として礼拝に出たい、という意味と、
ケアされる交わりの両方の意味でだと思います。

礼拝をリードしたり奉仕したり、
そもそも何となく人を「迎える」立場だと、
やはりただ礼拝しに来る感覚とは違うので、
「たまには、ただの会衆として、何も気にせずに礼拝して、養われたいなー」
とか思ったりするわけです。
まぁこれは未熟だからかもしれず、
「説教することで、むしろ恵まれる」とか、
「奉仕があっても何も気にならず礼拝できる」
とかいう人もいると思いますが。。

交わりについては、
牧師は自分の教会の中で、対等で素のままの自分を出せるような交わりは持ちにくいかもです。
やたらと「牧師だから」と肩に力が入っているからかもしれませんが・・・。
でもまぁ、まじめな人ほど、
立場的にどうしても「与えるばかりで受けることが少ない」ということには、
なりがちかもしれません。

牧師や宣教師は、
アウトプットが多くてインプットが少ない、
愛される、メッセージに養われる、ということが少ない仕事なのです。
真実で霊的な交わりがなくては、牧師だって枯れてしまいます。


「宣教師はチームがあっていいなぁ・・・」というのは、

(もちろん、宣教師は基本的にはかなり孤独で、団体によってはさらに超孤独な宣教師もいるわけですが)

例えば、とあるOMF宣教師の場合、
まずOMFインターナショナルに属し、
さらにその中のOMF日本(ホームサイド)のOMFのチームに属し、
さらにOMFカンボジア(フィールドサイド)のチームにもに属していて、
さらに、その中で「教会開拓チーム」に属し、
かつ「新人訓練チーム」に属し、
さらに数人での祈りあいのグループもあって、
新人ケア担当の方や、語学訓練担当の方もいて、
手厚く面倒をみてくれ、
日本にもS先生、Y先生など「困ったことないか~?」と心にかけてくれる方々がいて、
さ・ら・に、多くの祈って下さる方々がいて、
つまり言いたいことは、
相談できる人、気持ちを分かち合える人が多数いる、
それぞれのチームからケアを受けることができる、ということです。

日本の田舎の牧師などは、
一緒に働くチームもなければ、祈ってくれている支援グループもなく、
そういう点でだけ言えば孤軍奮闘なので大変です。

どうして牧師はチームで派遣しないのかなぁ。
牧師のケアは本当に考えられていないなぁと思います。
牧師に精神的支えがいるの?なんてイメージの人も、
まだまだいるんじゃないかなぁ・・・。

牧師も、牧師の家族も、
一人一人か弱い人間で、何重もの厚いケアが必要だと思います。


●理解されにくい:

牧師の仕事内容はほとんど人々には理解されていないと思います。
逆に批判されることもあります。
的確に評価されることなく働き続けるのは、結構大変なことではないでしょうか。


●忙しい:

一つの説教(聖書のメッセージ)の準備にどんなに時間がかかるか、
一回やってみると、
毎週一つ作るなんて、ありえない。。
・・・と思うことでしょう。
毎週違う説教を準備して、礼拝をしろって?
そんなの、毎週一つ作曲した上で自作自演のステージをしろと言われているようなものじゃないか~!
バッハじゃないんだから。無理~!
・・・みたいな。

でも現実はさらに過酷。
週に数回のメッセージがあり、
牧師は数個のメッセージを同時に頭で考えている場合も多いわけです。
ありえない・・・。

感じ方には個人差にもよるでしょうが、神様のみこころを人々に伝える手段である説教は、
かんたんなものではないと思います。
人の霊的命がかかっている、という意味では
医者が手術に手を抜けないのと同じくらい手が抜けない。
それが毎週。
年中追われている、毎週卒論の締め切りか、
テスト前の受験生の心境です。
「時間がない」焦燥感・・・。しかし中断が入る。
いや、こんな時ばかりではないですけどね(笑)。
まとまった時間がないので結局徹夜。
(↑私だけ・・・?)
たまに「そんな毎週毎週神の言葉が示されるか~」
とか言って、準備しながら一人でキレてました。

説教だけでもそのような状況なのに、
やるべきことが多くてどこから手をつけていいかわからないほど、
牧師は忙しいです。
雑務が多い、という声をよく聞きます。
お手上げになって逃避するも、
心の中では焦りと自責の念とがストレスとなってたまっていく。。。
ってこんな人ばかりじゃないかも。


●休みがない:

多くの日本の牧師は十分な休暇をとっていません。
その理由は何なのでしょうか?
牧師の仕事についての無理解や、仕事とそうでないものの区別のつきにくさが
根本にあるのかもしれません。

私の場合は、月曜日にお休みをもらっていましたが、よく牧師会などが入るんですよね。
「そういう時は火曜日に休んで下さい」と言って頂きましたが、
でも火曜まで休んじゃうと、終わんないですしね、仕事・・・。

あと、年に1週間くらい、日曜日をまたいで休暇をもらっていました。
(つまり、かなり恵まれていた方です。)
休みに関する考え方はイギリスに行ってからかなり変わりました。
今では、スケジュールをたてる際に休みをまず書き込むくらい、
大事に確保しようと考えています。

ちなみにOMFでは毎週1回と、年に4週間の休みをとるように、
また一時帰国の際にもよく休むようにと言われています。

「休みを下さいとは言い出しにくい」
「代わりに頼める人がいない」
「休暇をとるとかえって後が大変」
休み方がわからない、仕事中毒・行動中毒の傾向、日本人的な「仕事をしないことへの罪悪感」が背景にあるのかもしれません。
「自分はなくてはならない存在だ」
「献身者が休むなんて不謹慎だ」
そういう思いもあるのかもしれません。
でも、安息日守らんと死刑モノですよ、旧約聖書的には。
神様の掟ですから。
休むべし。

「人間は遊びと仕事と愛を同等の配分で求めるべきだ」(Erik Erikson 心理学者)

ベテランの牧師方は、こういうのはみんな乗り越えて上手にバランスをとっておられるのではないか、
とお見受けします。
が、そう出来た人だけが残っているのかもしれませんしねぇ。。。

写真はS先生ご夫妻とSさん(今度タイに派遣される方です)と共に、市川のOMF事務所にて。
候補者訓練コースの終了後です。

画像


ちょっと疲れてますね~(笑)

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この記事へのコメント

リャピュタ 
2009年06月26日 17:50
いやいやほんとに参考になるよ。直に自分のパソコンにネットが繋がるので、時間を気にせず、ゆっくりよめます。文ちゃんのお父さんやお母さん、あの居間なつかしいのお。
ぶんこ
2009年06月27日 00:03
リャピュタさん♪部屋でネットできるようになってよかったね。
ピーコは元気かい?今回はそちらに行けなくて本当に残念だったわ~。
また会おうね。
ichikawanosakura
2009年08月02日 18:05
いやーなかなか教えられます。宣教師のたいへんなのは人間関係が複雑になることです。宣教地の人々、外国人の宣教師、宣教師の日本人という3種類の人々との交わり・奉仕がでてきます。うまくNOと言えないと交わりが多くなりすぎてしまいます。基本的には宣教師ですから現地の人との交わりを優先すべきなのですが、同じチームの宣教師との交わり、日本人との交わりも決して軽視できないのです。その辺のバランスが難しいですね。
ぶんこ
2009年08月02日 21:48
ichikawanosakuraさんへ:なるほど。。複雑になってくるとバランスが難しくなるんでしょうね。宣教師特有の大変さについてはまだあまり実感としては知らないので、時々このように補足してくださるとうれしいです。

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